大丈夫大丈夫

 最近新しい環境に入って新しいことをしているから、眠れない日々が続いている。いや、寝付けない日々が続いている。大体2時3時くらいまで眠れなくて、未明の時刻が明け方に変わるかなという頃に眠る。

 なんで眠れないかと言うと、人と関わるとその日にあった出来事や自分の振る舞いが夜になるとぐるぐるぐるぐる頭の中で高速脳内再生されて、フィードバックを求めてくるからです。私は一体なんなんだ?もう、がむしゃらに社会の輪に入ろうとせずに、自分にできることを生かしていった方がいいのではないかと思う。高校のときに、クラスに2人くらい明らかに仲のいい友達が1人もいない人がいたけど、その人たちは何学部に行きなにを目指して就活しているのだろう。でも振り返れば、友達いないのに学校に毎日来るって大変強い精神力をしている。私は常にあ、今人からどう見られているのだろう、というのが頭から離れない。というか、自分と、斜め後ろにもう一人の自分が常にいて、主観と俯瞰が同時に存在している。その俯瞰が必ずしも客観性を持った俯瞰ではないことは分かっていて、もしかしたらこれは病的なものなのかもしれない。だから人と話しているときに自分Aと自分Bが同時に思考し始めるとめちゃくちゃ疲れる。だから何も話せない。気の知れた相手とだと、そういうのあんまり起きなくなるんだけど。

 こんな感じで文字にしたり、あるいは絵とか音楽に還元できれば、そしてそれが社会と繋がる役割を果たしてくれれば、きっとそのときには今よりほんの少しだけ、気持ちが軽くなる気がする。


 話が変わって、クワイエットルームにようこそ、という映画を観た。松尾スズキが監督脚本の、精神病棟に入院することになった女の人の話だ。その人は完全病気まではいかなくて、色んなストレスが一気に積み重なってODして入院してしまったのだけれど、その入院生活の様子が、結構懐かしかった。病棟の様子、拒食症の女の子、金髪短髪の女の人の、歩き回ってる患者、叫ぶ人。意外と仲のいい人同士で集まって静かにワイワイしているところ。あとは部屋の、ベッドと必要最小限の収納しかないシンプルさ。あーーーー、未だ私の気持ちはそこにある。生きるって、たくさんの物事が積み重なっていると思う。それがそこでは、起きる、食べる、ちょっと談笑する、食べる、お茶を飲む、体を綺麗にする、食べる、寝る。その行為だけが限りなく単調に慎ましく行われる。その静けさ。そこにものすごく安心感を覚える。ここに慣れてはいけない、でも本当にそうなのだろうか?いつか私はいろいろ考え抜いて、自分の手でそういう生活を手に入れたいと思う。自分の中で、今の社会で生きるってどういうことで、どういう着地点を見つけて生きるのか。それを知りたい。