やっと夏が来たような、でも残暑にも思える


夢遊病者は此岸にて / こんにちは谷田さん feat. 鏡音リン

 昨日ブログを書いていたらwifiが切断していつもなら繋ぎ直せば元のページに戻るのに、今回は戻らなくて消えちゃった。あらら。思い返せば中学生、たぶん中3?の頃から思っていることをひたすら文章にすることはしてきたのに、ノートだったりルーズリーフだったり、メモ用紙だったり、紙に書いていたから、どこかに行っちゃったのがほとんど。もったいない、捨てちゃだめだよ、って人に言われたけどそうだなあ。でも読み返すことなんてないし、毒ガスの入った箱みたいなものだから簡単に開けることもないし。押し入れの中に眠っている。一部は千葉から引っ越すときに捨てたような気がする。

 でも人が書いた文章って、雑記でもそれが生々しくて、こころ、って感じでそれが読む側としてはのぞき見しているみたいで面白かったりするよね。昔友達の家に行って、かくれんぼをしていた時に、たまたま目の前にあったノートをめくっていたらその子が書いた小説だった。しかも出だしが友達の女の子とケンカしたって話で、その友達の名前が明らかに私の名前をもじっていて、出だしだけで終わっていたけれどその続きはどうなったんだろう。鶴見俊輔っていう京都では特に著名な哲学者のひとの、もうろく帖っていう日記というか雑文をそのまま本に閉じたものがあるんだけれど、それが面白い。ぱらぱら読んだ程度(バイト中)だけど、頭のいい人のこぼれ話ってだけでヒラメのエンガワ的なもうけ感があるし、読んでみるとなんと切実な欲求は頭がいい悪いも関係なく、共通に人の根本にあるものなのだなって知れてそれもよかった。あの本けっこう高めなんだけど、お土産に買っておこうかな。  

  

 前回のブログを読み返してみたら結構荒れていて、あんまりこういうことは直截的にかくものではないなと反省した。自分で読んでもちょっと嫌な気分になるし。書くならアメブロだとするとメンバー限定記事にして実際私を知る人だけが読めるようにしたほうがいい。簡単に書いたものを消したくないから適切な処置が見つかるまでそのままにしておくけれど。

 

 時が移れば人の心も移ろう。年輪のように人の生きた時間も重なって刻まれるならば、せめて私とあなたがいた時間が、変わらず残っていることを信じたい。それが良きものであれ、たとえ悪いものであれ、それこそが人を尊いものにしているのだと信じたい。