喉から手が出てきそう

 20歳、今年21、自分の立ち位置が見えなくなっている。自分が今していることが、未来に続いていくという確かな感触が持てない。未来自体がもともと不確かなものなのだから、それに確かな感触なんてないのかもしれないけれど。なんていうか、目の前にある限られた選択肢の中から、かろうじて妥協できるものを選んでいるだけで、会心の選択ではないし、もっと将来性のある選択肢は別にある(奨学金を借りるとか)世の中金がないとまともに動けない。まして親に金の融資はこれ以上期待できないし、私の見通しが甘くて、父がいまだに金がなかったら借りればいいと考えていることが読めなかった。一回それでカードも止められて今もクレジットカード持てないのに。断てない連鎖、自分の階層からはなかなか抜け出せない。

 

 この手の類のもやもやは掘れば掘るほど出てくる。多分私本当なら偏差値が良くて60とかの高校に行って、高卒で就職する家庭なんじゃないかなあと思う。祖父母が母に教育をしたけれど失敗して(器じゃない)、その母がリベンジを私に託した結果が今に至る。いやはや学歴に特化した教育って怖いですね。収まらないところに収まろうとすると、それは背伸びでも、自分を小さくみせることでも、悲劇が始まる。その中で成功する人もいるにはいるのだろう、でもきっとこの世には報われなかった人がきっとたくさんいる。みんな静かに生きている。

 

 家族について考えると心がズーンと重くなる。ネガティブなものがネガティブなものを引き寄せてしまってネガティブなものを作り出してしまった図をまざまざと見せられて辛い。家族のことってタブーというか、家族を悪く言ってはいけない、悪く言うならそれは虐待とかDVとか貧困とか、明確な形をとった悪しか同意を得られないけれど、そうじゃない、そうじゃないことってたくさんある。別にそれに対して何か声を上げたりしたくはないけど、誰がどう思おうと私はそれを受け入れられない、と思うことはある。いくら触れることを避けても、あるものはある。あるものは、あるんだ。でもその中でいかに光のある方向を見られるかって、それが大事だと、思う。ひたすら光を見つめるんじゃなくて、暗い部分を抱きつつ、それでもなお、光ある方向に進めるか、そこが大切なのだと思う。

 こういうこんがらがってまじめな話を、まじめに語るのは嫌なんだけど、どうすればいいのか、どうすれば、ユーモアは好きだけどでもユーモアって分からない、面白い人は好きだけどタイミング悪い時に冗談を言われるとびっくりするくらい孤独になるじゃん、その瞬間が私は本当に本当にほんっとうに嫌いなんだよ。

 

 京都タワーが、上三分の一は東京タワー風の赤白でその下はスカイツリーみたいな薄めの青でライトアップをしているのはなんなんだ、どういうつもりなんだろう。