顔が焼けるのは嫌だなあ

 2、3日前、燃えて死ぬ夢を見た。森の中にあるバーベキュー場のような場所にいた。そこは小学校にあった小さな森の、飯盒炊爨をやる場所に似ていた。私はそこで木の枝を集めて火を燃やしていた。

 そうしたらいつの間にか腕の下あたりから服に火がついていた。あ、やばい、消さなきゃ、えっと、水はどこだろうと考えている一瞬のうちに、火はなめるように燃え広がって顔の左半面を覆っていた。気づけば体を通って足元まで火に包まれているのを感じた。目の前の炎を通して母親が悲鳴を上げているのを見た。顔が引きつっている。あ、私もう死ぬのかなと思った。そっかあ、すごい死に方だなあ、火あぶりかよ、でもお母さんも叫ぶなら火を消そうとしてほしいな、そこで突っ立ってないでさ、ってぼんやり考えた。なぜか一瞬で死を受け入れていた。火あぶりって、自分がパチパチ燃えてじわじわ炭になりながら死んでいくのを感じながら死ななきゃいけないから、痛くて嫌だなあ、涙が出てきちゃうじゃん。どうせ死ぬなら自分で気づかないうちにスっと逝きたいじゃん。そんなことを考えていたらなぜか火が消えていた。

 何となく顔の半分が焼けてただれているのを感じたけど、怖くて触れなかった。前に立つ母が口をパクパクさせながら困惑して私を見ている。私の見た目はどうやらすごいことになってしまっているらしい。一回死を受け入れたから、助かって生の世界に戻されたことが逆に、いや、もういいですって、なんなんですかこれ、いいです私死にますから、って感じでほとんど嬉しさを感じなかった。だいたい私明らかに半身燃えているじゃん、顔だって、この赤黒く焼けただれた顔で生きていけっていうわけ?左足だってこれたぶん半分炭じゃん、歩けるのかな。いま私左半身ゾンビみたいになっているんじゃない?もうこれ女の人じゃなくてモンスターのほうが近いんじゃないんだろうか。いやいやでも九死に一生を得ていややっぱり死にますなんて言えないから、当座は生きていくことになるんだろうなこれで。いつまだ生きていられるのか分からないけれど。呆然としていたらやはり母も呆然としていて、生きていてよかったって言って涙ながらに私を抱きしめるなんてことはもちろんなく、眉をひそめて、まるで汚らわしいものを見るような目でこちらを見ているのだった。

 たぶんここで夢は終わった。

 この夢、見終わった後に目が覚めて、布団の中でうわ嫌な夢見たなあ、なんだよって思った。チコリータのぬいぐるみを抱きしめて、その頭に鼻をうずめてにおいを嗅いで、じっとしていたらいつの間にかまた寝ていた。朝起きたらその夢のことはすっかり忘れていた。しばらくして、あれ、そういえば私この間死んだな、なんだっけ、って思い出した。

 何かをしようとするとき、そこには壮絶な死を伴う。自分が変わろうとするとき、それは気分の問題だけじゃなくて、それは同時に以前の自分が死ぬことでもある。これは河合隼雄の本を読むとよく出てきて、ああこういうことかと思った。神話だと死んだり生き返ったりぽんぽんする気がするけれど、それは新しい生には必ず死が伴うという人間の感覚を反映したものなのかなと思った。いやたぶんこれはものすごい浅い考えだけれど。だから決して私が病んでいるとか身体に火をつけて死にたいと思っているとかそういうわけではありません。あしからず。