書きたいことが散らばっていてまとまらないのよね

  

 考え事なら溢れてたまらないのに、それが絵とか音楽とか、そう文芸とかに結びつかないのはなぜだろう。もしかしてそういうものは自然に発生するものじゃなくて、ある程度の技術が必要なんじゃないか。多分絵描きになる人って子供の頃から色々書いていて、それが年を取って技術を学んで、そうして自分の想いを形にできるようになるんじゃないか。そうすると、今の私に足りないものは技術なんじゃないか?だから思いはあってもそれを上手く形にできないんじゃないか?文章は特別に学ぶものじゃないという人もいるかもしれないけれど、でも今の世の中誰でも自己発信ができる、その中で何か残るものを残したいなら、文章を徹底的に修行するのが必要なんじゃないだろうか。

 

 バイトをして多くはないけれど様々な人たちと関わった。それで分かったことは人の能力って学力と運動能力だけじゃないなということ。いやいやいや、今更?って感じだけど。21歳にしてようやく分かったのか?って感じだけど。人に物を教えるのがすごくうまい人もいるし、コミュニケーションは上手くないけど技術的なことをよく教えてくれる人もいるし、気配りが上手い人もいるし、接客は丁寧とは言えないけれど販売能力は高い人もいる。よく見ると人には個性がある。きっとそれはどんな人にもある。でもそれを上手に見つけて伸ばさないと、個性は死んでしまう。でも、たとえどんなに個性を伸ばしても、自分がそれを他人の中で上手く機能させることができないと、個性を生かすことはできない。人間は他者の外で生きることはできない。なぜなら人間は社会の中で生きていて、社会を作っているのは大勢の他者たちだから。そして今の社会は資本主義なので、個性があってもそれが他者、会社の消費を誘わないとお金にならなくて生きて行けない。

 この世の中で、芸術が技術に飲み込まれてしまいそうな世の中の流れの中で、でも人間に娯楽は必要だと信じている。音楽も文学も絵も、洗練された形になってからは日が浅い。その形が長い時間の中で緩やかに変わっていったように、これからまた新しい形に変わるのかもしれない。芸術は人間の普遍的なものと、その時代の息吹が合わさってできたものだと思う。そこにそれを表すものの時間が加わって、形になる。

君はいつまで一人なの

 突然に襲ってくる鬱、何を食べてももたれる、昔の先輩が東大で研究者をやっていた。脳裏に蘇る嫌な記憶。汚い部屋。結ばない思考。5時には机の前に座って5時半には勉強を始めていないといけません。過食傾向が戻ってきたような気がする。なぜ?

 本当になんでこんなことが起きたのか分からないんだけど、本を少し読むだけでめちゃくちゃ疲れる。目が疲れてるのではなくて、体全体が重くなって眠くなる。なんでなんでなんで、同級生が医学部とか医学部とか医学部とか旧帝とか行ってるのに、なぜ?こういう苦しみって自分を苦しめるだけで無意味だから、そんなこと思っても仕方がないから、でも私はすべてが欲しい。多分そのことが自分をすごく追い詰めている。そう、何もかも手に入るなんてそれは神の領域で、人間がそれを求めようとしたら傲慢で罰が下るだろう。すべてが叶うなんてあり得なくて、だから選ばなくてはいけない。自分がやりたいことを選ばなくてはならない。でも私はそれができない。想像が現実にコミットしていない。この傾向は高校一年生の学部志望の面談の時からあって、その時はまあ本当に何もしていない子だったから仕方ないと思う。で、あれからいろいろな経験をした今、それでも分からない。途方に暮れてしまう。皆どうやって志望学部を選んだんだろう。まるで天啓みたいに、あなたはこの学部に行きなさい、っていうお告げが書かれた知らせを天から受け取ったように思える。私はまだ分からないしまだ決められない。もし高校の時そのまま在学して受験をしていたら私は何学部に行っていたんだろう。理系クラスにいたし農学部かな。それとも心理学部に行っていたのかな。でも躓かないで進学していても、大学に通えていなかった気がする。わからないな。昔よく行っていた銀杏坂のスタバもだいぶ前に無くなったし、駅前の丸井も来年無くなるらしい。 

 あーーーーーーーー、昔からよく行っていたカフェに行きたい。アイスココアを飲んでワッフルを食べたい。久しぶりに水戸の空気を吸いに行きたい。別に何があるわけじゃないんだけど。去った空間は閉じられて、再び同じであることはない。二度と。私もう21歳なんだけどなあ。ねえ、何がしたいんだろう。

大人にはまだなれない

 こんなところにいるべきではない。こんなところってどこだ?私はなぜここにいる?何をしていても違うのは、、、、、、、、、、、、、、、、、、ずっとずっと考えている、本当は誰だか知らない人に愛想を振りまきたくない、ニコニコ、でも丁寧には接していたい。ただ必要以上に媚びへりくだるのが嫌だ。でもお金はほしい、お金は通貨だから。そろそろ本を返さなきゃ、他に借りたい人がいると通知が来ていた、4枚くらい。頭がふらふらしてきちんと物事を考えることが難しい、風船みたいにふわふわ上に浮かんで行ってしまう、ひもをしっかりつかんでいないと。今日もそこそこ高めの段差に気づかなくて足を下したとたんバランスを崩して腰にだいぶずしんと負担がかかった。

 嫌いな人に笑いかけたくない、そもそもまずは社交辞令からって普通じゃない?お互いのことはゆっくり知り合っていきましょう、それでいいのでは?一方的に話しかけてこないで、話しかけてきてもいいけどそれなら人の話を聞いて。よく話しかけてくる人に限ってこっちが返答をすると、ああ、とか無言とか、そういう返事をするのはなんでだ??やだやだああいやだ、分からない分からない。とにかく自分の……

 涙が出ちゃうわ。

 氷川神社に行っておみくじを引いたら、誠を尽くしても疑われる兆し、疑われても志をしっかり保てと書いてあった。あと病気は長引くから神に祈れと。はーーーーーい。そうよね、人間は、誠を尽くしていても疑われることがある。切ないかな。切ないわね。結局は何があっても、人から何を思われるか分からなくても、自分が良いと思ったこと、こうしたいと思ったことを続けることを諦めちゃいけないのよね。私はそれができているか?まだ弱いな。

 そういえばこの間夢で、仲良しの友人と思っていた人にセックスを迫られる夢を見た。なぜか同じベットにいて、私は彼の要望を拒否して寝たんだけど、そうしたら隣で堂々と自慰をしていた。一体どういう夢だ?その友人は実際の友達ではなくて、知らないけど夢の中では友達の人だった。なんか知り合って間もないけど話はよく合って、話が合うけどただの友達だと思っていたらこんな展開になった。すごく不快だった。分別がつかないというか、行間が読めないというか…実際お互いにそういう気があるのかって、分かると思うんだけれど。で、こっちはその気がないっていうのを出していたと思うんだけど。それってつまり向こうがこちらを甘く見ているというか、押せば折れるだろみたいな?いや折れないし。いやね~~~~~~~~~~~~~~~~~。こういう一部の男のせいで非常に嫌な思いをする。それが嫌でわざと声を低くしたり返答をそっけなくしたり女の子らしく振る舞うのを控えていた時期があった。防衛というか、危機回避というか、そんな感じだ。傷つくことを恐れないで~、って歌でよく歌われるけれど、傷ついたら回復するまでに時間がかかるし、傷ついた場所を庇おうとするのは本能だ。でも傷つきたくなくて逃げることで逃した出会いがたくさんある。

 

クリスマスキャロル

 私だけが落ちこぼれて低地をさまよっているように感じる。どうして?

 

 頑張ってるけど、頑張ってるんだけど。その時点で一番最適だと思えることを選んできているんだけれど。

 もし高校を辞めないで通っていたらどうなっていたのだろう。普通に進学して大学生活を送れていたのだろうか。分からない。流れるようにうまくいく人生なんてない、きっと。そうだとは分かっているのだけれど。そして今更変わることのない出来事に対して、こんなに思い悩むのはエネルギーの無駄遣いだとは分かっているのだけれど。前を見る、前を、前を、前を、前を

 心を開く、心を開く、心を開く、開かれた心ってなんだ????????分からない、分からない、やめて、来ないで、嫌だ、傷つきたくない、ぐるぐるぐるぐるぐるぐる現れては消えていく。

 みんな今を見ている、その一瞬一瞬は過去が侵せない今だけの物事、罪を犯した訳ではないのにずっと後ろめたいのは何故?

涙いい加減に私の目から出てほしい

 私は恵と仲良くなりたいと思っている、私は恵に話しかける、恵はいつも答えない。

 

 そこで晴香が現れる、晴香は私のことが嫌いだ、彼女は自分より少しでも優れているところがある人間のことが認められない人間である。そして私は彼女より、ずっと勉強ができる。私はそのことをあまり人前でひけらかそうとしない人間なので、彼女はそれが気に食わないらしい。彼女は例えばテストで9割の点数を取ったなら、自分が他の人と比べてどのくらい優秀であったかを確認する。私は、9割の点数を取ったら、なぜ1割を落としたのか、自己嫌悪に歯噛みしながら考え込む。お分かりいただけるだろうか?彼女は集団の中で自分の価値を見出していく。そして私は彼女に喰われた。この"喰われた" が何を意味しているのかはあなたたちに自由に当てはめてもらいたい。実例に基づいた解答例は用意してありますが、正解はありません。

 私の人生においてこの晴香という人間はとても大きなものだ。津波に自宅をぶち壊された人間が地震を怖がるように、一度人生が予期せぬタイミングで、自分の意志では動かしようもなく変わりうるものだというものを知らしめたのである。たとえナイフで刺されたとか、机に花瓶を置かれたとか、通学かばんを捨てられたとか、そんなことが起こらなくても、人間にとって死ぬまではいかなくともこの先生きていくのが著しく困難になるような障害を与えることができるのである。そして人生において死が最大の苦痛ではなく、生きることが最大の苦痛である。私に与えられた役目は死ぬまで生きることなので、生きることが困難になれば多分自然に電車に飛び込むとかお腹に包丁を刺して一文字に引き裂くなどして死ぬ。死ぬという行動に踏み切る力が働かないというときはまだ生きていられるということなので、そのときはおとなしく苦痛に耐える。猫を見習え、やつらは死ぬまで生きている。結局のところ私は自分の人生に生きがいとか価値を見出せないんだけど、まあいいよね。注意してほしいのがこの生きがいは、生きる意味とか人類の存在価値とかそういうことではなくて、あくまで私個人にとっての生きがいです。ほかの人がやってることに意味が感じられないということではないです。皆は白米美味しいっていってるけど私はおいしいと思わない、そんな感じ。

 

 この世において人は人に喰われるのです。弱い者は淘汰されなくとも、自分というものを失うのです。人は知らずに人に喰われているのです。そして弱い者は自分が奪われたものに、後から気づくのです。ごめんねお母さん、でもこれは私が自分で気づかなきゃいけないことだった。

涙が出ない

 水面にずっと浮かんでいるような浅い眠りが続いている。日常生活のそこかしこがおぼつかない。ユニットバスの電球が切れた、なぜかお湯がぬるい、給湯器の温度を上げすぎるとガス代が高くなりそうで怖い、だから湯船にお湯を張ってもすぐ冷める。街道沿いには夜更けでもでかい声で話す馬鹿どもが一定数いる。夜は寝ている人がいるから小さい声で話す、大人になってもそれすらできないのか。全ての物事が自分から遠い。一体私が何をしたっていうんだ。どうしても明るい気持ちになれない、そのことにまた傷つく自分があほらしい。胃のあたりがじわじわと痛んで、肩甲骨の周りがこわばっている。一体私が何をしたっていうんだ。健康な体に産んで欲しかった、あるいは健康になるように運動をさせて欲しかった。車移動が基本の広々とした土地に越した方がいいのかな、なんとなく。こうなったら永住できる土地が見つかるまで移動を続けてやる。

大丈夫大丈夫

 最近新しい環境に入って新しいことをしているから、眠れない日々が続いている。いや、寝付けない日々が続いている。大体2時3時くらいまで眠れなくて、未明の時刻が明け方に変わるかなという頃に眠る。

 なんで眠れないかと言うと、人と関わるとその日にあった出来事や自分の振る舞いが夜になるとぐるぐるぐるぐる頭の中で高速脳内再生されて、フィードバックを求めてくるからです。私は一体なんなんだ?もう、がむしゃらに社会の輪に入ろうとせずに、自分にできることを生かしていった方がいいのではないかと思う。高校のときに、クラスに2人くらい明らかに仲のいい友達が1人もいない人がいたけど、その人たちは何学部に行きなにを目指して就活しているのだろう。でも振り返れば、友達いないのに学校に毎日来るって大変強い精神力をしている。私は常にあ、今人からどう見られているのだろう、というのが頭から離れない。というか、自分と、斜め後ろにもう一人の自分が常にいて、主観と俯瞰が同時に存在している。その俯瞰が必ずしも客観性を持った俯瞰ではないことは分かっていて、もしかしたらこれは病的なものなのかもしれない。だから人と話しているときに自分Aと自分Bが同時に思考し始めるとめちゃくちゃ疲れる。だから何も話せない。気の知れた相手とだと、そういうのあんまり起きなくなるんだけど。

 こんな感じで文字にしたり、あるいは絵とか音楽に還元できれば、そしてそれが社会と繋がる役割を果たしてくれれば、きっとそのときには今よりほんの少しだけ、気持ちが軽くなる気がする。


 話が変わって、クワイエットルームにようこそ、という映画を観た。松尾スズキが監督脚本の、精神病棟に入院することになった女の人の話だ。その人は完全病気まではいかなくて、色んなストレスが一気に積み重なってODして入院してしまったのだけれど、その入院生活の様子が、結構懐かしかった。病棟の様子、拒食症の女の子、金髪短髪の女の人の、歩き回ってる患者、叫ぶ人。意外と仲のいい人同士で集まって静かにワイワイしているところ。あとは部屋の、ベッドと必要最小限の収納しかないシンプルさ。あーーーー、未だ私の気持ちはそこにある。生きるって、たくさんの物事が積み重なっていると思う。それがそこでは、起きる、食べる、ちょっと談笑する、食べる、お茶を飲む、体を綺麗にする、食べる、寝る。その行為だけが限りなく単調に慎ましく行われる。その静けさ。そこにものすごく安心感を覚える。ここに慣れてはいけない、でも本当にそうなのだろうか?いつか私はいろいろ考え抜いて、自分の手でそういう生活を手に入れたいと思う。自分の中で、今の社会で生きるってどういうことで、どういう着地点を見つけて生きるのか。それを知りたい。