祝福を

横になると胃がキュルキュルいう、目が乾いて涙が出てくる、歯茎から血が出る、爪が鱗みたいになってボロボロ剥がれる。愛はどこだ????????この苦しみは何のためにある?????? 平和な世界ってないのか??? 暖かい…??じわじわ痛めつけるならいっそ殺してくれと思う、人生って何のためにある? わからない、誰だって好きなことをして生きていきたい。恵まれた人が好きなことをして生きていってそれが希望になるなら、芸術は何のためにある? 輝きだけが美しさではない。

 辛い時に限って一人になるのはどうして。

 誠意を持てば相手も返してくれる信じているけど、そうじゃない痛手を食らうことが多々ある。役に立たないけど頼りになりそうな人が偉いポジションに着いていて実際役に立たないことなんてよくある。全てフェイクなのか???フェイクなのか???嘘か??ハッタリか???分かんない。分かんない…。

 よくあろうとしている、けれど損ばかりしているような気がする。私はお前の顔が嫌いだ、顔が全てを物語る。愛はどこにあるんだろう。思いは通じると信じている。自分のことばかり考えないで。仕事できる人に限って役職に着いてないのなんでなんだろう。どういう役回りなんだろう。頑張っている人に相応の幸福が訪れますように。全てが馬鹿馬鹿しくなる夜、できればこういう風に考える元になることは避けたい。神はまだ私を自由の身にしてはくれないらしい。聖書が教えるのは、善に尽くせ、そのために死ぬことは犬死にではないと、保証してくれるから。だがそれがどうした?それを実践してる奴がどこにいる? 心が痛い。真っ黒い穴ができてそこがスースーして痛い。応答せよ。応答せよ。オレンジデイズ柴咲コウが櫂くんに応答せよ。って送るシーンがすごく好きで印象に残っている。それだけ。

 

やっぱりここに帰る

 昨日見た夢の話。夜、私はバス停でバスを待っている。ちょうど二台バスが来て、私が行きたい行先が書いてなかったけど何となくこれで合ってるかなと先に来たバスに乗った。運転手は父親だった。発信してすぐ、あ、このバスは私の行先とは違う方向に向かっていると気づいた。バスは暗い夜の中急な坂道を上がっていく。次のバス停ですぐ降りるとしてもこの暗い道を歩いて引き返していくのはヤだなあと思う。すると場面は飛んで私はよく分からないけど誰か背の高い男の人にキスしている。後ろで父親がそれを見ている。

 大体見る夢は現実に即したものが多いんだけど、今日見たこの夢はちょっと出所が分からなくて不思議だった。先週父親と会ったのが関係しているのかもしれない。この前書いたか忘れたけど、父親の右前歯が黒くて今にも抜けそうで、そのほかの歯も傷んでて、ぞっとした。あと身にまとう空気がなんか今までになく淀んでいて怖かった。何か悪いことが起きるのじゃないかという気がしている。よく分からないけど何か切羽詰まっている感じというか、隠している感じがした。

 いい加減家から離れないといけないんだけど、家のことがずっと心の奥に引っかかっている。先が見れない。大学に戻りたいと思っているけど、大学で勉強したいことがあるのか??世の中… まじ世の中… 無償の愛、無償の愛。やっぱり何が好きかって、文学とか、芸術とか、人間の深淵って感じなんだよなあ。むしろそれ以外どうでもよくって、でもどうでもいいって切り捨てるのはなんか違うんだよね。何だか世の中がどんどん薄くなっていく気がする。氷が溶けたジュースみたい。

私は人間だぞ

一人で生活をするのが辛い。今までずっと一人のほうが気楽だと思っていたし誰かと生活するなんてきっと途中で耐えられなくなると思っていた。かなり自閉的傾向が強かったと思う。すべての出会いに意味があるとしたら、こんなに苦しい思いをするのはなんのためなんだろう。なんでいつもミスをするかって考える前に体が動いてしまうからで、ゆっくり、ゆっくり、手順を反芻しながらやりましょう。お前なんかより仕事ができるようになってやる。なんかよく分からないけれど、仕事ができる人が社員じゃなくて社員があんまり仕事ができない。本屋にいた時は、独身の社員のキビキビ仕事一筋の感じも好きだったけど、主婦さんの社員の、程よく肩の力が抜けた働き方も好きだった。彼女たちには確かに守るものがあり、それは優先順位で一番であり、その強さが好きだった。定時になるとさっさと退社する感じ。主婦の人があんまりレジミスするから一般社員がちょっと怒っていたけど、レジミスくらい、って思ってしまう気持ちも分からなくはない。人って自分がどんな立場に、環境にいるのかで随分変わる。結婚しているしていないで人の考え方ってきっとすごく変わってしまうと思う。その人たちが同じ環境で働くって、結構大変だよなあと思う。こう、学生が同じ部活の人とつるむ感じで、大人になっても自分の所属で関わるコミュニティが決まってくるんだよなあと思う。人間の多様性ってそうでもない。本当に。だから本当に好きな人とはできるだけ離れたくないね。傍にいるって大事なことだよね。家族だって、離れ離れになったら壊れてしまうことだってある。傍にいてもお互いがお互いを受け入れ合おうとしないことだってある。あーーーーーーって感じ。アーーーーーーーー。こんなに暗いことを書きたいんじゃない、ああ、あ、 どんなに仲がいいと思ってもつらい時に自分の話をされたり肝心な時に連絡が途絶えたりそういうのはもういい、マジで。私のことを考えてくれて私のことを大切にしてくれる人がいい。今の時代に情とかあるのか?私の周りにだけないのか?誰か教えてくれ。応答のないコール。宇宙を漂うシンパシー。僕たちの孤独が交わらないなら生きるのは苦しいよ。猫とか犬って孤独を感じるのかな。人間に飼われている動物は感じるのかな。寂しいのは心の奥では愛を知っているからなのかな。分かち合うのを待っている心。ラブアンドピース。ラブすなわちピース。

 人には人の適性がある。これは紛れもない事実。

 知性とか体力とか社交力とか、創造力とか、人の能力をRPGのキャラクターみたいに分析したら、私は間違いなく知性に極振りしていると思う。さらに知性にも種類があって、記憶力とか思考力とか、分析力とか、後は何だろう、分かんないけど、たぶん要領みたいなのは私優れているんだと思う。周りには私より頭がいいなと思う人がたくさんいて、でも必ずしも学力が高いわけではなくて、それって何なんだろうなと思う。例えば人への気遣いが優れていたり、トラブルが起きたときの即座の対応力だったり、ノートにきれいに情報をまとめる能力だったりする。そういうのってたくさんの情報の中から素早く必要な物事をアウトプットしていく能力だと思うんだけど、そういうのって私あんまり得意じゃない。でもそういうことができる人のほうが、勉強ができそうな気がするんだけれど、何故だかそうじゃない。高校時代の時に、先生にこの高校は優秀な生徒が集まっているけど、あなたはその中でもかなり優秀ですよっていわれたことがあって、それは長年生徒を見てきた人の言ったことだから全くの的外れではないとして、自分ではそれがよく分からない。でも人には人の特性があるとして、そうであるならそれを生かしてあげたいと思う。でも私には自分の秀でていることが具体的に何なのか、何に生かしていけるのか、分からない。

 

思っていることをそのまま書くと苦しい

 なんでかよく分からないけれど皆に気を使われちゃうのなんでなんだろう。わかんない。男の子だとたまにすごいフランクに話しかけてくれる人いるんだけど、それも稀。いやでも自分でわかっていないだけで外から見たらすごい話しかけにくいのかもしれない。絡みにくい?昨日行ったお弁当屋のご夫婦はすごい気さくに話しかけてくれた。嬉しい。

 make sense.

 会話が上手い人ってすごくどうでもいい些細なことを話しかけてくれるし、会話の切り方もスッとしてて上手いからそんなふうに私も自分を明かしていけばいいんだろうけれどいつもタイミングを見計らうばっかりで行動に移せないばかりだ。つらくない?つらい。私は一体会話の能力をどこで失くしてきたのだろう。それとももともと持ってなかったのかな。小さいころから自分と人形と会話してる時のほうが気楽だったことが影響しているのかもしれない。会話をしない家族だった。それはおじいちゃんおばあちゃん叔母さんともそう。どんなに仲良くなった友達ともいつかは別れてしまうじゃん。そればっかり引きずっている。別れとか終わりとか死とか、そういう無かつ絶対的に訪れるものに、もののあはれに囚われていたらでも形あるものって生まれないんだよね。作って壊して作って壊れてを繰り返していくのが人生なのかもしれない。あーーーーーーーだめだな。別にこんなことにとらわれてなくたっていいんだ。やだやだやだやだやだやだ、自分が楽しい、心地よいと思うことを積み上げていけばいいんだよ。楽しいことって何だろう、いつも地面に足がついていない感じが抜けない。好きってなんだ?私は何が好きなんだ?

 結局中学生の時に考えていたことを今でもずっとぐるぐる考えている。

 

書きたいことが散らばっていてまとまらないのよね

  

 考え事なら溢れてたまらないのに、それが絵とか音楽とか、そう文芸とかに結びつかないのはなぜだろう。もしかしてそういうものは自然に発生するものじゃなくて、ある程度の技術が必要なんじゃないか。多分絵描きになる人って子供の頃から色々書いていて、それが年を取って技術を学んで、そうして自分の想いを形にできるようになるんじゃないか。そうすると、今の私に足りないものは技術なんじゃないか?だから思いはあってもそれを上手く形にできないんじゃないか?文章は特別に学ぶものじゃないという人もいるかもしれないけれど、でも今の世の中誰でも自己発信ができる、その中で何か残るものを残したいなら、文章を徹底的に修行するのが必要なんじゃないだろうか。

 

 バイトをして多くはないけれど様々な人たちと関わった。それで分かったことは人の能力って学力と運動能力だけじゃないなということ。いやいやいや、今更?って感じだけど。21歳にしてようやく分かったのか?って感じだけど。人に物を教えるのがすごくうまい人もいるし、コミュニケーションは上手くないけど技術的なことをよく教えてくれる人もいるし、気配りが上手い人もいるし、接客は丁寧とは言えないけれど販売能力は高い人もいる。よく見ると人には個性がある。きっとそれはどんな人にもある。でもそれを上手に見つけて伸ばさないと、個性は死んでしまう。でも、たとえどんなに個性を伸ばしても、自分がそれを他人の中で上手く機能させることができないと、個性を生かすことはできない。人間は他者の外で生きることはできない。なぜなら人間は社会の中で生きていて、社会を作っているのは大勢の他者たちだから。そして今の社会は資本主義なので、個性があってもそれが他者、会社の消費を誘わないとお金にならなくて生きて行けない。

 この世の中で、芸術が技術に飲み込まれてしまいそうな世の中の流れの中で、でも人間に娯楽は必要だと信じている。音楽も文学も絵も、洗練された形になってからは日が浅い。その形が長い時間の中で緩やかに変わっていったように、これからまた新しい形に変わるのかもしれない。芸術は人間の普遍的なものと、その時代の息吹が合わさってできたものだと思う。そこにそれを表すものの時間が加わって、形になる。